会社がつらい

社畜のブログです

会社がつらい4

初めて土下座したのは入社してから2ヶ月でした。私は外回りの営業として、配属されました。新規もルートセールスもやるような一般的な外回りの営業です。その時の私はまだ(今は死んだ魚の目をしています。)目が死んでおらず、ニコニコとお客さんに挨拶に行っていました。

 

まだ、未熟だった私を見てか、それをあてつけに、あるお客さんは以前の担当の対応についてのクレームを私にぶつけてきました。

 

私はまだ、この会社は良い会社だと、未来のある会社だと思い込んでいたのと、先輩社員について批判されるのは気持ちが良くなかったのと、営業という仕事を履き違えていたので、お客さんと真正面から戦いました。口で戦ったのです。それも生来口下手で、今思うとなぜ営業職についたのかわからない私がです。

 

お客様、そんなことないです。と。

 

お客さんのクレーム熱は燃えに燃え上がり、途中場所を変え、自宅に来いと言われ、口論することなんと6時間。ふと気付くと夜中21時を回っていました。そして、ふと気付くと、泣きながら私は両手を地面につけ、頭を地につけていました。

 

申し訳ありません。私が間違っておりました。私どもの対応が間違っておりました。誠に申し訳ありません。

 

私はこの屈辱は2度と忘れません。内容はともかくこの屈辱は2度と忘れません。

私のクレームに対する対応が悪かったのは事実。先輩社員の対応も悪かったのも事実。私はこの体験から営業を学びました。どんな相手でも相手の気持ちを推し量ることがまず第一だと…。

 

帰社すると、当然のように残業している先輩社員の数々。遅いじゃないか何があったんだ。と問われ、正直にあったことを話すと、そこから2時間、先輩からも説教を受けました。

 

お前はダメ人間だ。と。

 

この時のこともおそらく一生忘れません。先輩方にも監督責任等色々なことがあったのでしょう。それはわかりました。が、会社の為に自分なりに戦ったのにも関わらず、お疲れ様の一言もありませんでした。

ただ、私の社会性が低すぎたのでしょうか。私が全て間違っていたのでしょうか。

今でも仕事を続けてこれているのが不思議です。

 

その日は、帰宅時間はとっくに24時を回っていました。手当など出ません。

クタクタになりながら、ふと、車のラジオをつけると中島みゆきの時代が流れておりました。私は嗚咽を上げ、しゃくりあげて泣きました。

 

 

 

そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう

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もう2度と笑顔になれそうもなく、車の中で号泣したのを覚えています。心が涙と共に減っていきました。

 

 

その後、そのお客さんは別の先輩が対応したのですが、3時間クレームにつかまっていました。